Title: そうなの
Name: KoKo_32301
Date: 2003/9/30(Tue) 01:51
CommentID: 9448
Message: で、私としてはそれが前の投稿で述べた「果たして差別する側の立場にある者が差別される側の提唱者にっ本当になれるか」という議論に結びつくんですよね。
何となく教室で議論していたときは理論上で考えると可能なような気もしてきたけど、例えば白人種とエスニックマイノリティの人種差別感とかを聞いたり自分の経験も含めて実際の体験で学んだりするといかに自分の中でも差別側・被差別側としての立場では矛盾や全く未知の観点があって我ながら驚いたり。で、それは被差別側になる体験をせずに頭で学んで理解できたであろうものかと聞かれると実は分からない。
やっぱり実際にその立場になってみないと気づかない・見えない観点って絶対あると思うので最近は上の疑問に対しては「どんなに努力しても多分その立場にある人と同じ観点では見れない」という立場になってきてます。
でもだからと言ってそういう努力が無駄だとかいうんじゃないんですよね。双方が出来るだけお互いの立場や観点から物を見る努力って必要。でもそういう理由でやっぱり片方だけが物事を変えていく権力や判断力を持っている構造では根本的に進化はしないんじゃないかなって思います。性差問題だったら女性が、人種問題だったらエスニックマイノリティが、社会経済問題だったら持たざるものが、年齢問題だったら高齢者が・・とどうしても変えていく力の内側にこれらの代表が加わっていないと意味ないなって思います。
男性が考える性差別解消、白人が思いつく人種差別減少、社会経済的に恵まれた者が考える福祉政策・・・多くの社会ではそれがやっぱりそういった構造が一番の問題なのではないかなあ。
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