Title: 正しい主張にこそ、正しい主張の仕方が...
Name: tos_y
Date: 2005/5/5(Thu) 09:54
CommentID: 25048
Message: 「分かっている人」が「分かっていない人」に「正しい事」を主張する時の、暴力的な言葉、破壊的な強さっていったい何なのだろうと思うことがあります。 右手で石つぶてを投げながら、左手のメガホンで「分かって欲しい」と言う、その光景が私には良くわかりません。 更に、「投げさせるような事を言う相手が悪い、投げる方に責任は無い」という理屈が裏打ちされ、それが通ってしまいさえします。 たとえ相手にそのきっかけ、誘因があったとしても、それに呼応する、「無罪のまま許される暴力、暴言」があるとは私には思えません。 大事な、真剣に考えるべき問題だからこそ、時として感情が勝ち、筆の勢いが余ることがあるのも当然だと思います。しかし、もし投げなくても済むつぶてを投げるのであれば、投げる方に100%責任がある、せめてそんな覚悟の上であるべき、そんな風には思います。
以前は、場が平和でなくなりそうな局面で、比較的早く「割って入る」書き込みがあり、少なくとも、1対多、の構図は少なかったように思います。それが、何時頃からか、「批評家面するな、自分の意見を言え」という論調が普通になり、そのせいかどうか分かりませんが、割って入る人が少なくなっているように思います。 現場で一生懸命活動している人に対して、遠くからただやり方に口を出すだけ、そんな構図には私も嫌悪感さえ覚えます。つぶての1つくらい投げてやりたくなります。しかし、掲示板で、あるテーマについて何かを主張する事って、そこまで黙っていた人に、「その前に意見を言え」と要求して良いほど大層な事なのでしょうか?私には良く分かりません。
私も、厳しいレスを頂く事がよくあります。ただそういう場合でも、「曲解」とか「誤解」とかといった言葉を積極的に使う気はありませんでした。キーボードで叩いた文章と、掲示板上に存在するそれとは、一言一句全て同一です。しかし、キーボードの手前にあった、自身の思いやら、心持、姿勢、考えと、掲示板上に表示されるそれらとは、存在自体のメカニズムが異なる、やはり全く別の次元のものなのだろうと思います。 自分の書き込みが全く別の様相で相手に届く事がある、という事は、同時に、書き込みから私が受けた印象と、書かれた方の思いはひょっとしたらかなり違うという事もあるはず、そんな事を忘れずにいたいとも思っています。
「多様性」多くの方が口にされる言葉です。しかし、「何を言っても許される、分かっている、私達」と「何を言われてもしょうがない分かっていない人」の二相しか存在しないのではないかと思える事も時々あります。 言うまでも無く、「多様性」を「認める」というのは、その意見を「肯定」するという事ではありません。又、「多様性」に全てを押し込めて許容するのもちょっと違うと思います。「とんでも意見」も含めて、まずは、自分とそれと同じ重みを認める、現実的には困難極まりないですが、忘れてはいけない、それが「多様性」だと考えています。
正しい事を主張する時こそ、主張の仕方に注意を払う必要があると思います。でなければ、その「分かっていない」人を増やすばかり、更には、「分かっている人」を遠ざけてしまう事さえあるような気がします。
難しいかもしれませんが、最近のツリー、個々の書き込みに拘ることなく、genericなご意見を伺えたらと思います。
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