Title: あらー
Name: KoKo_32301
Date: 2002/9/8(Sun) 01:40
CommentID: 10795
Message: 私って実はサラリーウーマンだったんですよー、大学卒業後は(実はここの編集長とは戦友でした)。短期間だったけど。
よく研究者系みたいに間違われちゃうんですが、研究者肌とは実は全く逆タイプなんです。私は修士しか持ってないんですよ、PhDなんて今のところはとんでもないって感じ。遠い将来の目標の一つではあるんですけどネ。だから大学院も今の仕事も実は方向転換した結果だったんです。
今の仕事が楽しいのもひとえに現実社会で起こってる現状を自分たちの手で直接変えていけるって実感があるからなんです。理論的にはこうなるとかリサーチではこういう結果がでる、ってだけじゃなくて。介護施設や終末期ケアの質向上を目的に例えば助けより害になる法律を変えたり、政府の管理体制のプロセスに関わったり、ケアのプロバイダーに実際に彼らの施設でのケア向上のために実施できるプロジェクトを提供したり。
そういう仕事だと社会の現実と自分の無力さに落ち込みそうになってしまうこともあるけど、私にはそれでもやっぱりこっちのほうが楽しいんです。
> つまり、法律よりも社会通念のほうが効力がある、ということですね。法律は、概ね社会通念を成文化し、正当化しているものと思うのですが、人々の意識・価値観のほうが実際には支配していると。
うんうん。この二つは必ずしも同一ではなくて相互に影響を及ぼしあっていく感じかなって思います(同一だったら法律で禁じれば存在も無くなるはずですから)。
例えば差別なんか良い例だと思うのですが、これは法律が社会通念に先行している問題。子供を人種別に分けて教育したり住む場所や雇用の機会やサービスの提供を人種が理由で分けるのはこれは法的に禁じられている差別ですよね。ただ法律がいくら差別を禁じても人の心の中にある差別意識や社会に根ざした差別意識までは変えられませんし、それは人の態度や行動を通じて法律のコントロールできない範囲で行わるもの。
例えば「xx人って変よね、どうしても好きになれないわ。うちの子供と遊ばせないようにしなきゃ」なんて個人が公言すれはその言動は明らかに差別ですしその子供たちに及ぼす影響も非常に大きい深刻な問題だと思いますけど(品性・教育のある人からは人格を疑われても)法的には差別と証明するのは多分不可能。
法律では人種平等が確立されている社会では今問題になっているのはどちらかというと社会通念の差別で、法的に差別と立証されない限りこれは簡単には取り締まりようがありません(私個人の意見では唯一の手段として「教育」の一言に尽きると思います)。
もともとは社会通念が「人種差別は非道徳的、憲法違反」と判断したから差別廃止の法律が出来、その後は個人の選択ではなくて法律が差別を禁じているから、という理由で人々が多人種が融合した生活を送るうちに理解が進み差別意識も減少したといえると思います。このようにその時点でどちらか先行している方が遅れている方を引っ張りあげながら一定の方向に進んでいくのかなって思うんです。
終末期ケアなどの比較的新しい問題などは社会の考えに法律がついていく場合が比較的多いです。病院で死にたくない人が増えたり無意味な蘇生や延命措置を拒否する人が急激に増え人間の終末期に対する社会通念が急速に変化してきたために、現在の法律に基づいたシステムとは相容れなくなってきた、そこで社会通念に対応するために法律が新しく出来たり改正されたり。
上手く説明できないんですが、どこの社会でも人々は社会通念というインフォーマルな規則と憲法や法律などフォーマルな規則と、二種類の法律を基準に行動すると思います。この二つは同一ではなくお互いに影響を及ぼしながら結局は同じ一つの方向に向かって進化していくものではないのかな・・・。
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