Title: 食善説の非
Name: plastica
Date: 2002/10/31(Thu) 18:31
CommentID: 11822
Message: > 大人になって、外食を知ったり、好きな時に好きな相手と一緒に食卓を囲むことを憶えて、食べれるものの種類も増え、食いしん坊になった人がいます。
私の友人にもいます!最初会った頃はすごく食も細くお菓子以外の関心がなくて食事に行っても小鳥のようにつまむ程度、だったけど、いろんな食べ方や楽しさを知るうちに食べるものの幅も広がって、自分でも料理もするようになった人。そう、それまでは料理もあんまりしない家庭環境で晩ごはんマクドナルドでもうれしい、ってタイプでした。
でも彼女と話していて、少し反省したこともあります。満遍なく食べられて、食べることを謳歌することは、賞賛されやすいけれど、だからといって「食が細い」とか「食欲をあまり感じない」ことを逆に「異常」とマーキングしがちではないかということ。彼女にしてみれば、逆に、食べられるものが限られること食が細いことを殊更に指摘されるその勢いの方が「なぜそこまで?」と却って異常に映るのだそうです。食べられるものが少ないながらに工夫してきたし、また自分が食べられないものをおいしくないと否定したことも他人が食べることを非難したこともない訳で。
小さい頃は、まず生きる程度に食べられる、ということが彼女にとっては努力の一歩だったのに、毎度毎度「偏食」「不健康」ってダメを押されるのがメンドくさくて、余計食べるの嫌いになったそうです。いわば食善説が偏食に拍車をかけた仕組み。大人になってから食べる事をいちいち言われなくなり、しかも食い意地張った「食べないなら喜んでもらう!」というタイプの友人(含・私)に引きまわされてからの方が、偏食がなくなっていったのはまあ皮肉というか。もう成長期じゃないし。ただ、母親になる前に食事にとても興味ができたというのはよいことだったのかも。
おいしく食べてもらうこともたくさん食べてもらうことも作り手としてうれしいけど、それを最初から「当たり前」として強要されたら確かに苦痛かも、とそれを「当たり前じゃん」に思っていた私には彼女の経験談は少しイタかったです。万人にとって美食は善、っていう発想って奢ってるかもと思いました。実はとっても難しいことだからこそ、理ではなく、シンプルで自然ときもちよく箸がすすむようなごはんを作れるって理想。しかも毎日。ごはん作りは偉業だ。
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