Title: 同感ですね。
Name: sassine
Date: 2003/8/12(Tue) 22:17
CommentID: 3341
Message: > 英語を話すこと云々と言うより、違う文化背景の人と話をすることを通して、新しいことを学んだり、自分が今まで見てきたものとは違う発見をすることが、「日本語を話している自分とは違う」と錯覚するだけじゃないでしょうか?
これはひじょうによくわかりますね。
外国へ行って、外国語で意思疎通できたりすると、それだけで気分が高揚するということもありますし、なんとなく「違う私」を感じることはあると思います。婉曲表現についても出てきましたが、おなじことを表現するのでも、日本語が母語の者同士でも、使う語彙が異なると、違和感を覚えたりすることもあると思います。逆に、外国語で意思疎通しているのに、ふとした表現がものすごく自分のツボにはまるような言い方をする人に出会ったりすると、ことばの違いや国籍の違いを一気に飛び越えて、その人の存在全体を全面的に受け入れてしまう、と思うこともあります。
そうすると、これは言語というレベルが問題ではないのかもしれませんね。「ヨセフを知る一族」ということばがありますが、何か自分とおなじ価値観だとか、たとえば何かを例えるときの比喩表現に共感する部分があるとか、そういうレベルでの言語的琴線が共鳴するということなのかも、と思ったりしますね。
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