Title: 最後までわかりませんでした
Name: tos_y
Date: 2003/10/12(Sun) 09:23
CommentID: 3585
Message: medicoさんが仰っていたのは唯一点。
「”ご苦労様”が目上の人に対して正しいかどうかは、辞書には書かれていない、かも」。
だと思います。(medicoさん、もし私に誤解があればご指摘下さい。他の表現で言い直した方が、誤解・勘違いが明らかになりやすいので、敢えて私の言葉で言い直させて頂きました。)
それに対し、Honeysuckleさんは、最後まで、辞書の有用性・位置づけ・存在意義をたくさんの言葉で仰っただけに見えます。そしてその仰った事は、概ね、”それはそうだ”という話であったと思います。medicoさんの元々の意見への反論でなく、他のたくさんの”それはそうだ”という話をされても、議論にはならないと思いますが、いかがでしょうか?
それと、medicoさんが”一般常識が全て正しい”とお考えになっていることをうかがわせるような記述は、私には全く見当たりませんでしたが、いったいどこだったのでしょう?
分からない事がたくさんあるのですが、一点だけ。 国語辞書と英語辞書とを並べていらっしゃいますが、それらは、本質的に異なります。 英語辞書は、日本語と英語の云わば対照表に過ぎません。なので、逆に、正誤判断の拠り所としての妥当性は、国語辞書に比べれば高いと言えると思います。それに対し、国語辞書は、国語を国語で表現せざるを得ない、自身を自身で表現せざるを得ないという宿命故の限界があります。 例えば、話題の中心になっている単語、”標準”を辞書で引いてみると、”基準となるもの”という表現があります。では、”基準”を引くと、”基礎となる標準”とあります。 もう少し複雑な言葉には多くの言葉が用いられており、いかにも、”定義”の様相がありますが、原理的には同じこと、自身で自身を定義することは出来ません。そして、いささか乱暴ですが、”定義”のない所には、”正誤”もありません。
結局、言葉の正当性の判断、裏づけは、”経験的権威”によってしかなされないのではないでしょうか?辞書のみがそれを出来るのでなく、辞書は、その”経験的権威”の集大成としてのみ、存在する、そんなことのように思います。そして、その辞書を読む時にも、”経験的権威”の助けを借りなければならない、という構図もあるように思います。
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